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今日4月25日は私(今村暁<日本起業家教育研究所>)にとってとても大事な日です。
飯村大くんという私の教え子の命日(平成14年4月25日、享年22歳)でした。大くんが交通事故でこの世を去ってから今日(これは平成16年4月25日に書かれています)でちょうど2年です。
2年前、大君のお母様から私宛に電話がありました。何か嫌な胸騒ぎがしました。大くんが夜中に北海道の支笏湖近くの道を車で走っていたとき、何かを避けるようにしてハンドルをきり(たぬきでも避けたのでしょうか)、あわててハンドルを逆に戻したところ、道路わきのコンクリートに乗り上げ、横転し、電信柱に激突した、とのことです。腹部の骨がすべて複雑骨折し、苦しむ間もない即死だっただろう、とのことでした。私は自分の中で何がなんだかわからなくなり、絶句したあと、教室には先生も生徒もたくさんいるのにもかかわらず、電話口で嗚咽、号泣しました。
死ぬ直前、死ぬ瞬間、大君は何を考え、何を感じていたのでしょうか。あまりにも早すぎる彼の死ですが、彼は幸せな人生だったのでしょうか、そうではないのでしょうか。それは本当のところは私にはわかりません。ただ、これから紹介する彼が残したメッセージを読むと生きがい、やりがいに溢れた幸せな最後の数年間だったのではないかと思います。
彼が20歳のときに書き、ベッドの横にはりつけ目標にしていた紙と、お父さんへの手紙を紹介します。お父様への手紙は書いたものの、投函することはなく、彼の部屋に残されていたそうです。志半ばで焦点した彼のメッセージを読み、何かを感じてくれる事を願っています。私たちも一瞬一瞬を大切に、自らの人生を燃やし続けていかなければなりません。 |
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小学4年生から不登校だった飯村大くん。19歳で今村さんと出会い少しずつ心を開いていく・・・。 |
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飯村大くんのふたつの遺品を紹介します。
ひとつめは交通事故をおこしたあと、札幌の大くんの部屋を引き払うためにご両親が行ったときに引き出しに残されていた大君から父親へあてた手紙です。出そうと思ったのに、出せなかったようです。こんな形で父親が読むなんて・・・。
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次に紹介するのが、大くんのベッドの横に貼られていた紙です。21歳の青年が書いたものです。10歳から19歳まで不登校だった人間が書いたものです。大くんにとって最後の3年間は一日一日が10年間を取り戻すかのごとく、熱い毎日だったのでしょう。20歳を超えたばかりの人間がこんなにも熱く生きていたのです。僕らもがんばらねばなりません。
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飯村大くんに教え、また彼の死から学んだことは・・・。 |