『15ラウンドまで、絶対にあきらめない』 |
30歳に手が届きそうになる頃まで、無名の俳優兼脚本家。 華々しい世界の中にあってもそんなこととはおよそ無縁で、経済的にはかなり厳しい状況に追い込まれていました。せっせと脚本を書いてはエージェントに持ち込み、俳優としても努力は欠かさなかったのですが、限界も自分の頭の中に浮んでは消えていたことでしょう。 何せ、有り金がたった106ドルだけしかないところまで追い込まれていたのですから・・・。 1975年3月、チャンスに巡り会います。 テレビで時の王者・伝説の男・モハメド・アリと無名に近い、数段格下のチャック・ウェップナーのボクシング中継を観戦していたのです。 その時、脚本家の中に抑え切れない感情が込み上げてきたのです。無名でしかも35歳のロートル・ボクサーが王者モハメド・アリからダウンを奪い、見事に最終ラウンドまで戦いぬいたのです。 圧倒的に不利な下馬評を覆して・・・。 彼は3日3晩寝ずに脚本を書き上げました。そして、脚本をエージェントに送ります。 何とそれに2万ドルが提示されたのです。しかも、主役はライアン・オニールか、バート・レイノルズというハリウッドを代表するスター。現在の窮状を考えれば願ったり叶ったりの条件です。少なくとも今の苦境を一時的には脱出できる。 ところが、脚本家は賭けに出ました。 主役を脚本家である自分自身が演じるという条件を提示したのです。どうしても演じたかったのでしょう。出演料は無料でいいと申し出たのです。しかし・・・ 「ハリウッドじゃそんなやりかたは通用しないよ」 と最初は相手にもされませんでした。主役候補とは比較にもなりません。 それはそうでしょう。 30才目前にして取り立てて目立つ役はやったことがない俳優です。しかも左顔面に軽い障害を抱えていて、細かい表情を作れない上に、発声にも多少影響が出ることもある。相手になりません。 次にまたオファーがありました。今度は8万ドルに脚本料が跳ね上がりました。しかし、条件が付いていました。 「主役は演じさせない・・・」と。 しかし、それも断る。 さらにロバート・レッドフォードが脚本に興味を示し、彼の主演なら20万ドルでやろう、という話まで・・・。それでもまた断る。 やがて脚本料は30万ドルに、そして33万ドルに・・・。しかし・・・ 「自分が主演をできないなら映画は撮れなくてもいい」 と脚本家は言い切ったのです。 会社側はついに折れ、彼が主演することに同意しました。しかし、脚本料は2万ドルと33万ドルと比べると16分の1以下。出演料は役者の最低賃金である週給340ドル。経費とエージェントの手数料と税金を引いて手元に残ったのはわずか6000ドル。 ところがこの映画は大ヒットとなりました。 売れない脚本家兼俳優とはあのシルベスター・スタローン。その脚本はご存知『ロッキー』だったのです。 その後、『ロッキー』シリーズは大ヒットし、約10億ドルを稼ぎ出し、アカデミー賞最優秀作品賞・監督賞・編集賞にも輝いたのです。 以来、俳優としてのみならず脚本家としても監督としても、シルベスター・スタローンはその才能を認められるようになりました。 冴えない4回戦ボーイ(ボクサー)がアメリカン・ドリームをつかみとるという物語は、まさにその後のスタローンの姿を象徴しています。 映画の中で、試合前夜、勝ち目のない相手に挑むロッキーは、婚約者エイドリアンに約束をします。 「勝ち目はないが、絶対15ラウンドが終わるまで、立っている」と。 |