『プレーの「理屈」を追求 オフトの思想 根底に』

 サッカーという競技はシンプルゆえに難しい。鈴木啓太はときにその難解さにたじろぎ、サッカーの奥底をのぞき探求してきた。

  二〇〇〇年、浦和入りして初の春季キャンプを鈴木はよく覚えている。内舘秀樹が浮き球を処理した。「取れる」と思って寄せたが、難なくかわされた。内舘が特別なことをしたわけではない。体の向きをほんの少し変えることで、鈴木の力を無効にしたのだ。

  「これは本当に頭を使ってやらないと生き残れない」と悟った。トラップしてボールを置く位置、体の向き、ポジショニング……。すべてを正しく行わないとキープすることも、奪うこともままならない。「サッカーとはこんなに難しいものだったのかと思った」。プロの世界で、どうやったらボールが奪えるのか。まずはポジショニングを考えるようにした。「あと1b左にいたら、こういう感じでボールを取れたのではないかなどと考えながら、いろいろ学んできた」

  いいプレーには理屈があると鈴木は言う。だから欧州のサッカーを録画で楽しむときも"ミクロ"にこだわる。「なぜ、この選手はボールを取れたのだろう」と探りながら何度も同じ場面を見直す。プレーをさかのぼれば「ここでこう動いていたから取れたのか」と言う理屈が見つかる。

  つかんだ理屈をもとに駆け引きを挑む。いまの鈴木には敵の出方を読む余裕がある。「相手はこういう狙いだろうから、ここでは詰めず次のタイミングを待とうとか、こっちに行かせといてここで取ろうとか」。局面での強さ、技術を出す前に奥深い心理戦を営んでいる。行き着くところは崇高な職人か。「そう、なりたいんです、職人に」

  鈴木のここまでの進化はハンス・オフトの指導を抜きに語れない。〇二年から2年間、浦和の監督を務めたオフトは細かな約束事で選手を縛った。持ち場を離れることを許さず、オーバーラップは禁止した。鈴木は「こんなつまらないものはない」と嫌になったが、言われた通りにするとボールはうまく回った。ポジションを崩さないから、攻守ともにややこしいことにならない。組織プレーの基礎をたたき込まれた。

  「あのときはサッカーってこんなに簡単だったのかと思った。なんてサッカーが分かっていなかったのだろうと痛感した。あの教えがあるから、いまの浦和があり、自分がある」。もちろんオフトが進めたことは土台作りであり、さらに先はある。その点を押さえたうえで、鈴木はオフトの思想を体に染み込ませた。

  強力な武器を持たない鈴木がここまで飛躍できたのは旺盛な探究心による。浦和の中村修三ゼネラルマネージャーは言う。「負けず嫌いで、しかも人の話をよく聞くのが啓太のいいところ」。周囲の教えを吸収するというより、しゃぶり尽くし、経験をすべて糧にする。教えや経験を血肉とする底知れぬパワーは持って生まれた才能と言っていい。「自分はもっとできるはずだと感じるんです」。照れることなく、そう話せるピュアな精神性こそが、最大の武器なのではないか。